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僕たち、私たちは、オタ卒したい芸人です。

サイン

何故サインを貰って喜ぶのだろう。ふと、そんなことを考え出した9時前。確かカズレーザーメイプル超合金)も似たようなことを言っていた気がする。それゆえ彼は色紙に違う人物のサインを書いたり乱雑に線を引いたりしているとも聞いた。けれど、それでもそれを貰い喜ぶのだから不思議である。赤の他人のサインだとしても喜ぶのだから。

 

さて、では何故そんなサインと呼べるかわからないようなものでも人は喜ぶのか。例えばの話。仮定の話。これが全てではないけれど私が辿り着いた結論を話しましょう。

サインを書くということはその書き手(=A)が貰い手(=B)のために時間を割くということ。けれど書いている時間だけでなくBへ何かしらの思惑も割り当てることになる。それが「私のサインを要求してくれるなんて嬉しい。ありがとう」というプラスの感情なのか「何でこんな奴の為に書かなきゃいけないのか。面倒だ」というマイナスの感情なのかはわからないけれどやはり何かしら一瞬だとしても思惑を巡らせているはずなのだ。

こう述べた通り、B側である私たちは煌びやかなAがBの為に貴重な時間、感情を費やしてくれることがきっと嬉しいのだ。もちろん他にも例えば直筆の場合だとAが触れたものに私も触れられるという思いだったり、Aの生きた証がここにあると感じられたり、はたまたそれ以外だったりとまだまだ想像出来ない感情があるのかもしれないけれど、私の仮説はひとまず終了。皆さんのサイン論も是非教えてください。